即興における記憶と忘却:過去の痕跡と現在の生成、そして創造的破壊
はじめに
即興パフォーマンスは、その瞬間に立ち現れる予測不能な創造性を本質としています。しかし、この一見偶発的な創造の背後には、演者の深い知識、経験、そして無意識の選択が複雑に作用しています。本稿では、即興という行為が持つ「創造と破壊」の弁証法を、特に「記憶」と「忘却」という二つの概念を通して深く探求いたします。記憶は即興の基盤を形成する一方で、忘却はその基盤を一時的に、あるいは永続的に解体し、新たな創造を可能にする破壊的な力を持ちます。この相互作用を理論的に考察することは、即興パフォーマンスの奥深さを理解する上で不可欠であると考えられます。
記憶の役割:創造の基盤と制約
即興パフォーマンスにおける記憶は、単なる過去の情報の貯蔵庫ではありません。それは、演者がその場で創造を行うための出発点であり、豊富な素材を提供します。
個人的記憶と集合的記憶
演者個人の記憶は、これまで積み重ねてきた技術、知識、感情的経験、身体的記憶(筋感覚記憶など)といった多層的な要素を含みます。例えば、音楽家であれば過去に習得した音階やフレーズ、ダンサーであれば身体の動かし方や特定のムーブメントの記憶が、即興の材料となります。こうした記憶は、ベルクソンの言う「習慣記憶」のように、無意識のうちにパフォーマンスを支える基盤となります。
同時に、即興は常に特定の文脈の中で行われます。その文脈は、特定のジャンルや文化、社会規範といった「集合的記憶」によって形作られます。例えば、ジャズの即興と舞踏の即興では、参照される音楽的・身体的言語が異なります。これらの集合的記憶は、演者が共有する「言語」となり、他者とのコミュニケーションを可能にします。
記憶は創造の素材であると同時に、制約ともなり得ます。過去の成功体験や慣れ親しんだパターンは、時に新しい発想を阻害し、ルーティンに陥るリスクを伴います。
忘却の力:破壊と解放のメカニズム
記憶が創造の土台であるとすれば、忘却は既存の構造を破壊し、新たな創造の余地を生み出す力として機能します。
意図的な忘却と瞬間的忘却
即興において「忘却」は、意識的な選択として現れることもあれば、無意識のうちに起こることもあります。意図的な忘却とは、例えば、過去の教訓や形式、期待されるパターンを一時的に「手放す」ことです。これは、ダーヴィドフが提唱した「非意図的行動」の概念にも通じ、意図や目的から一度離れることで、新たな可能性が開かれることを示唆します。
また、パフォーマンスの最中に演者が完全に没入する「フロー状態」では、時間や自己の意識といったものが一時的に忘却されます。この瞬間的な忘却は、既存の枠組みから解放され、直感的な身体の動きや発想に身を委ねることを可能にします。ニーチェが「創造の忘却」と呼んだように、過去の重荷から解放されることで、純粋な創造力が発揮されることがあります。
忘却は、既知のものを「破壊」し、空白を生み出します。この空白こそが、何もないところから新しいものを「創造」するための肥沃な土壌となるのです。デリダの脱構築の思想が示唆するように、既存の構造を解体し、その中に隠された可能性を露わにするプロセスは、即興の破壊的側面と深く共鳴します。
記憶と忘却の弁証法:創造と破壊の循環
即興パフォーマンスにおける記憶と忘却は、単なる対立概念ではなく、相互に作用し、弁証法的な関係を築いています。
現在における相互作用
即興の「現在」とは、記憶によって提供される情報と、忘却によって解放される可能性がせめぎ合う場です。演者は、その瞬間に自身の記憶の引き出しを開け、適切な素材を選択する一方で、その素材が固定化されることを避け、新たな組み合わせや逸脱を試みます。
例えば、あるメロディを即興で演奏する際、音楽家は過去に学んだ音階やリズムのパターン(記憶)を活用しつつも、次に何が起こるか分からない未知の領域へと踏み出します。この「踏み出す」行為は、予測や計画といった固定された枠組みを一時的に忘却し、未知の創造へと身を投じることを意味します。このプロセスは、認知科学におけるワーキングメモリと長期記憶の相互作用にも通じます。長期記憶にある豊富な知識をワーキングメモリ上で操作し、同時に外部からの刺激や内的な閃きによって、その操作の方向性を柔軟に変化させるのです。
この動的な相互作用こそが、即興における「創造的破壊」の本質です。記憶によって形成された構造を、忘却の力によってその場で解体し、その解体された要素から瞬時に新たな構造を再構築する。この循環が、即興パフォーマンスの奥底に流れる活力を生み出しています。
理論から実践へ:パフォーマンスにおける記憶と忘却
実際のパフォーマンスにおいて、演者たちは無意識のうちに、あるいは意識的に記憶と忘却のバランスを操作しています。
ダンサーは、これまで習得した身体の動きや表現の語彙(記憶)を使いながらも、予期せぬ空間や共演者との関係性、音楽の展開によって、それらの動きを瞬時に変形させ、あるいは完全に手放し(忘却)、新たな動きを生み出します。これは、計画された動きの「破壊」と、その場での「創造」の繰り返しです。
また、演劇における即興も同様です。キャラクターの背景や関係性の設定(記憶)を保持しつつ、相手の予期せぬセリフや行動に対し、自らの固定観念を捨てて(忘却)、瞬時に新しい反応を創造することが求められます。
これらの実践例は、即興における記憶と忘却が、単なる認知的プロセスに留まらず、身体的、感情的、そして関係性の中で多層的に機能していることを示しています。
結論
即興パフォーマンスにおける「創造と破壊」の理論は、記憶と忘却という二つの強力な概念によって深く探求され得ます。記憶は創造のための豊かな基盤を提供し、過去の経験や知識を現在に呼び込む力となります。一方で忘却は、既存の構造や習慣を解体し、新たな可能性を解放する破壊的な力として機能します。
両者は相互に作用し、弁証法的な循環の中で、即興の瞬間に唯一無二の創造を生み出します。この記憶と忘却のダイナミズムを深く理解することは、即興パフォーマンスの理論的探求に新たな視点をもたらし、演者たちが自身の創造性をさらに深化させるための示唆を提供することでしょう。今後の研究において、これらの概念がどのように具体的なパフォーマンス実践に応用され、また認知科学や哲学の領域とどのようにさらに連携しうるかについて、一層の考察が期待されます。